neno1365的動き
横浜の建築家ユニット≪design office neno1365≫が発信する建築や日々の色々コラムをお楽しみ下さい。
私の聴く音楽
私はあまり配信された音楽を購入しないほうである。
CDを買ったり借りたりしてしまうことが圧倒的に多い。
結局PCやiPhoneに入れてしまうくせに配信購入は滅多にしない。

そこにはこれといった理由はない。
強いてあげれば、デジタル環境にあまり強くない自分がデータを誤って紛失しかねないという自負がある。
実体としてのCDがあれば少し安心できるという極めてアナログな考えに拘泥しているのだ。

考えてみると中学や高校の頃は、レコード盤に針を落としていた人間である。
貸レコード屋から借りたアルバムをTDKのADに録っていた人間である。大好きなバンドは奮発してAD-Xだった人間である。
ことに嗜好性の強い音楽鑑賞という行為においては、そんな青春時代のアナログ慣習から抜け出せないという部分もあるのだろう。

でもって聴いてる音楽もあまり変わっていない。
70年代〜80年代のロックを中心に、古いテクノやシャンソン、日本のニューミュージックや昭和歌謡などが多い。
最近のヒットチャートを賑わす曲は、洋の東西問わずあまりなじみが無い。

ま、音楽なんてのは典型的に個々の好みがはっきり現れるのだから、何もこの歳になって必死で時代に付いていかなくても良かろう。
好きな音楽を好きに聴く、これが一番楽しいのだ。

で、私が最近好んで聴いているCDを急にご紹介。
正直言っていずれも曲調は新しくない。私が昔から好きな、レコード盤の頃から聴いていた曲調である。しかしCDの発売そのものは比較的最近なので購入もレンタルもし易いと思う。

vintage trouble
まずはアメリカのバンドVintage Trouble。彼らのデビューアルバムがたまらなくかっこ良くて私は好きだ。


black keys
続いてもアメリカのバンドBlack Keys。一昨年のアルバム「El Camino」がロックの王道でとても心地良い。


木村好夫
で最後に日本の木村好夫。「ギター演歌ベスト」は私にとって正にここ最近のベストCDである。

これらの素晴らしいアーティストについて、あーだこうだと批評なんてする気は無いし、できる知識も全く無い。
今の時代、ネットで試聴はできるしアーティストのプロフィールもたくさん出ている。気になった方はそういう便利なツールをご利用の上、是非一度このCDを体験して下さい。

また気が向けばCDやら書籍を急にご紹介いたします。
ただしヒットチャートを賑わすものや、流行の先端を行くようなものは期待できないので悪しからず。
【2013/06/11 23:37】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
生き物たち
暖かくなってきて思い出だすことがある。
一昨年のこの時期、むし暑く感じたある雨の日のこと、
雨上がりの夜道で何か柔らかいものを踏んでしまった。

犬糞ではあるまいか?!と一瞬ヒヤリとしたがそうではなかった。
それは握りこぶし大のカエルだった。

幸い私の反射反応が早かったのか、カエルにはさほど体重が乗らなかったとみえ、
無言のままではあったが彼はノソノソと道路脇の雑草に姿を消した。

さて残された私の方は非常に気持ちの悪い感覚に苛まれていた。
足の感触もさることながら、カエルの姿自体を気持ち悪く感じてしまっていたのだ。

デューク
カエルといえばデュークエイセスの筑波山麓男声合唱団でしょ


その湿った雑草の中にはカエルのみならず、当然ヘビやトカゲもいるだろう。
当たり前のその事実が凄く怖くなってしまい、ブルブルっと震えが出るほどであった。

気を取り直して歩き始め、ふと下を向くと雨に濡れた路面をミミズが這っていた。
ことここに至るとミミズの動きすら堪らなく気持ち悪く、ちょっとした恐怖すら感じてしまった。

私の場合、年々こうなっていく。
こうなっていくというのはつまり、動物を怖がってしまうということである。

子供の頃はこんな事はなかった。
カエルを握りしめて遊び回っていたし、イモリやヤモリも平気で捕まえた。
田舎育ちというわけではないが、家の周りにはまだ田んぼや畑がたくさんあった。

学校帰りに用水路の脇にアオダイショウがのたうちまわっていた日には、
素手で掴んでブンブン振り回していた。今考えるとちょっとした虐待にも感じられ、それはそれで反省すべきな程だった。

釣りに行けばミミズもゴカイも指でちぎった。
ハトもニワトリもカラスも何も怖くなかったから、追っかけ回して真似をした。
近所の河原に生息していた野良犬どもと堂々と喧嘩もしていた。

しかし今は全く駄目だ。カエルも虫も触ることすら出来ない。
ヘビだのトカゲだのに至っては、動物園の爬虫類館に入場することも憚られる始末だ。
カラスをはじめ鳥たちとの距離もかなり遠くなった。真似して遊ぶ気にもなれない。

このように、大人になり生き物たちと何となく疎遠になってしまった私ではあるが、
ただ1種類だけ、この流れに逆行する動物がいる。それが猫である。

猫は子ども時代の私にとって唯一の怖い動物であった。
近所の飼い猫も野良猫も触ることが出来なかった。友達が可愛がっていても私はそれを遠くから眺めていた。猫の目が薄気味悪く感じたし、猫嫌いの母から化け猫伝説を刷り込まれたこともあり猫には滅法弱かった。

ところがそんな私は今現在猫を飼っている。猫を可愛がっている。
猫と一緒に楽しく暮らすためにどういう空間が良いかを考えている。
猫の面白おかしい動きを少し研究して、建築家として何か出来ないかと模索している。

猫寝る
うちの猫が寝ている


その結果、猫と建築のあるべき姿を多くの人と考え共有しようと、
「猫と建築社」
なるヒネリのない名前のプロジェクトを立ち上げてみた。
まだまだ発展途上だが、猫に興味のある方はホームページをのぞいてみて欲しい。

さて今後も私と多くの生き物との距離はますます広がっていくのだろうが、
猫と犬だけは私のそばから離れないでいて欲しいと切に願うものである。
【2013/05/23 22:04】 動物 | トラックバック(-) | コメント(0) |
母の日に思う
スーパーで買い物していると、子供が大声で「ママこっちだよ!」だの
「ママこれがいいよ!」だのと騒いでいる。

耳障りに感じるのが、その「ママ」という呼び方である。

百歩譲って幼児という年頃の子供であれば問題はないが、
もう学童になっているにもかかわらず「ママ」ではよろしくないだろう。

まあ五百歩譲って女の子が「ママ」と呼ぶことにはいくらか我慢もできるが、
男が学校に通う歳を過ぎて「ママ」とは何事かと首を傾げてしまう。

まあまあ千歩譲って男でも家の中で「ママ」と呼ぶ分には、近所に馬鹿が一人いるぞってだけだが、公衆の面前で男子学童が「ママこれ買って!」では、この国の行く末に不安を感じる。

私が小学生の頃(昭和50年代)母親を公然と「ママ」と呼ぶ級友はいなかった。
ここでいなかったと断言できるのは、一度ある女の子がうっかり「ママ」と口走ったことでその子が皆にからかわれていたという、今考えるとそれはそれでどうかと思うような事件があったからである。

その子は訂正を繰り返したし、その子の友人も熱心な弁明を繰り広げたが、
無意識に飛び出した「ママ」という単語は、あまりにも大きな衝撃であった。
結果、そのクラスの多くが彼女を「ママ子」と呼んでいたし、あまつさえそこから派生して「ヨネヤマン」だの「マイムママ子」だのとあだ名をつけられていた。


ヨネヤマママコの素晴らしきパントマイム


女の子でさえこの有り様なのだ。これが男が「ママ」だった日には、
即刻物笑いの種、かばん持ちの餌食、永久にキャッチャーかゴールキーパーである。
しかしながら昨今は男子学童の「ママ」が日常化しているようだ。

もちろん、男子学童は思春期を迎え青年になる頃には「ママ」とは呼ばなくなるだろう。
ま、少なくとも公衆の面前では呼ばなくなるだろう。
変声期を経た野太い声で「ママこれ買って!」はいくらなんでもまずいと思うだろう。
まずいと思ってくれよ、青年諸君!もう頼むから思ってください、青年諸君!


「ママ」「パパ」の普及と定着に一役買ったと噂されるママス&パパス


「ママ」も「パパ」も赤ちゃんが発音し易い、いわば赤ちゃんのための言葉だという説もある。だから、かく言う私も赤ちゃんの時は母を「ママ」呼ばわりしたかもしれないが、物心ついてからは「ママ・パパ」と言った記憶は一切ない。

兄も私もそうだったから、私の家には母と父はいたがママやパパはいなかったのだ。
なのに兄はパパになった。

成長した青年である我が子からは、もう「パパ」とは呼ばれないが、
兄嫁は兄を引き続き「パパ」と呼んでいる。もはや彼は「パパ」から逃れられないのだ。
自分の父をパパとは呼ばなかった男がこうして「パパ」として生きていく現実。

このように私の近辺では「パパの現実」だったが、「ママの現実」も同じことである。
赤ちゃん語は赤ちゃんに任せて、少なくとも人前で男の子が「ママー、パパー、ワーイ」じゃ恥ずかしいぞという常識を取り戻してもらいたい。
【2013/05/12 09:00】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(1) |
抜群の文房具 その1
ソフトペンという文具がある。
多くの場合、学校の先生がテストの採点用に使っている。

私の先生は、もれなく透明軸のソフトペンを使っていた。
透明だから中の赤いインクがよく見えていた。

ソフトペン
美しい姿


軸の内側を赤く汚していたインクはしかし、紙の上ではピンクになっていた。
テストの後、答案用紙はピンクに染まって華やかな装いで戻ってきた。

間違った漢字の横には先生が正しい字を書いていた。
とめ・はね・はらいも美しく、ピンクのくせしてどこか誇らしげな顔をした漢字たちが並んでいた。

答案用紙の上隅に殴り書かれたピンクの点数に一喜一憂した。
点数の下にピンクのアンダーラインがシャッと書かれ、
現在の己の学力を否応も無く強調されている気分になった。

だからこそ100点の時だけに見られる二重のアンダーラインは嬉しかった。
先生からのご褒美、いや祝辞とも受け取れるプラス一本のピンクに生徒は胸を張ったものだ。

100点
何故の二重線


正解を示す丸の内側に、ごく小さなピンクの点が見受けられた。
採点業務のリズム感を垣間見る瞬間であった。

逆に記号での答えが続く個所ではピンクの点が少なくなった。
しかしこの事もまた採点業務の弾むようなリズム感を表現していた。

というのも、先生は正解のイ・オ・ア・イを「イ・オ・ア・イ」と呟きながら、
シャッ、シャッ、シャッ、シャッと丸を付けていく。そこにピンクの点は必要ないのだ。
そのリズムとテンポは、いわば採点業務の醍醐味である。

ところがこのリズム感によって、如何せん4番目の解答に対しての誤審が頻発する。
ある統計によると、4番目を不正解した生徒の約3割が、一旦丸印を付けられているという。
またその生徒たちは、その丸を訂正するための殊更に大きく憎たらしいバツ印をも見せ付けられている。

しかしそこに生徒たちは先生の軽率と人間味を垣間見る。
調子に乗ってしまった恩師に親近感をおぼえる。

私の場合、小学校卒業を機にピンクの答案用紙から離れたように思う。
中学からの先生はソフトペンの印象が極端に薄い。
派手な赤鉛筆やら赤ペンやらで攻め立てられた。受験生の士気高揚に赤が好まれたのだろう。

依然として答案用紙のアンダーラインやリズム感は変わらなかったが、ピンクが真っ赤になった。
私はあのソフトペンのピンクが懐かしい。
だからというわけでもないだろうが、パソコンで書いた字も強調箇所はマゼンタピンクの文字色にしてしまう。

今後は図面に打ち合わせ内容を書き加える筆記具として、ソフトペンを使ってみようと思う。
何だかデザインにリズム感が出そうな予感がある。
しかしあんまりリズムに乗りすぎて不要な窓やら庇やらがそこら中に増えないよう注意したいものではある。
【2013/05/07 22:54】 思い出 | トラックバック(-) | コメント(0) |
長かった夏休み
さて、そろそろ夏休みが終わりを告げる季節なので、
私もそろそろ、ブログのサボりを終えようと決意したのだ。

そこで本日は、夏休みについての話である。
それにしても夏休みというのは長いものだ。
私の場合、子供の頃から、夏休みの長さには辟易としていた。
いや正直なところ、夏休みの長さにではなく、宿題の多さに辟易としていた。

学校側としては、普段と同じペースで学習時間をとれば、
これぐらいの分量は、十分こなせるだろうと考えているようだ。
しかし校長先生には申し訳ないが、そんな子供は、この世に一人もいないのだ。

夏休みとは、半狂乱かと思われるほどに遊び呆けるための時間である。
ほぼ毎日のように、友達と市民プールに通うための時間である。
お盆の帰省時には、田舎の海や川で、いとこや地元のガキどもと遊び回るための時間である。よって必然的に、宿題なんかしている暇は一切ないのだ。

「朝の涼しいうちに宿題しとかなあかんで!」
毎日毎朝、母は不機嫌に怒鳴り散らしていた。
しかし、朝から宿題にとりかかるような、そんな子供は、この世に一人もいないのだ。

夏休みとは、気がふれたように朝寝坊するための時間である。
こちら側としては、今日も昼の炎天下で遊び回らなければならないのだ。
体力を温存しておかないと、倒れてしまうではないか。
よって必然的に、宿題なんかしている暇は一切ないのだ。

涼しげな素麺
夏休みの昼食は、冷やし素麺が頻発する


もちろん夜は夜で、花火だの盆踊りだの夜店だの、
果ては遊び疲れて眠いだのという、少し疑問の残るような理由もあるが、
いずれにせよ、宿題なんかしている暇は一切ないのだった。

さてそうなると、どうしても夏休みの終わりにツケが回ってくる。
毎年サザエさんでもおなじみのシーン、家族総出で宿題を片付けるというあれである。

優しいにゅうめん
素麺だと2把ぐらい余裕なのに、にゅうめんは1把で十分なのが不思議


しかし私は、私のポリシーとして、家族に迷惑を掛けることは絶対になかった。
その点では、私と磯野鰹氏とは大いに違っていた。
私は、宿題を無理に完遂させなかった。つまり、未完成で提出日を迎えたのだ。
鰹氏と波平氏のように、学校への対面を取り繕うことは一切なかった。

私は、やった宿題だけを堂々と提出した。恐ろしく歯抜け状態の絵日記や、
7月25日頃でストップした何かの観察記録も、威風堂々と提出した。
読書感想文や漢字ドリル・計算ドリルは、なぜか得意だったので完遂させていたが、
自由研究なんてものには、見向きもしないという有り様だった。

もちろん先生からは、遅れてでもちゃんとしたものを出すようにと注意を受けた。
しかし毎年「はい、出します」と言っているうちに、秋の涼しい風が吹き始め、
運動会の練習が忙しくなる頃には、そんな空返事は、天高く雲散霧消してしまった。

思い返すと、義務教育の9年間+高校1年の計10年間、未完成提出が続いてしまった。高校2年と3年は、宿題がなかったので、未完成提出を完遂してしまったことになる。
全くもって不徳の致すところであり、今頃になって反省してしまう。

しかし、それでも私は生きている。立派にとは言えないが生きている。
先生方も笑って許してくれているだろう。‥‥と思う。

まあとにかく、夏休みというのは、そういうものだ。
おおらかで寛容な人間を育てるための時間、それが夏休みというものだ。
【2012/08/31 22:06】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
一葉の葉書
先日、ちょっとしたつまらない物を伯父に贈った。
するとすぐに、伯父から贈り物の礼状がハガキで届いた。

筆マメな伯父のことだから、それ自体に驚きはないが、
常にハガキの在庫を持って、ササッと書けるという状態に、少し懐かしさを感じた。

高校生の頃、私は常に20枚程、ハガキのストックを抱えていた。
そして、一日に2〜3枚のペースでハガキを書いては、ポストに走っていた。

そう、私は世に言うハガキ職人をしていた。
オールナイトニッポンのような全国ネットの放送はもちろん、
関西ローカルの深夜放送にも、頻繁に投稿していた。

採用率もなかなかのもので、特にとんねるずの某番組に至っては、
放送時間が10分程度しかなかったが、投稿したらほぼ毎回読んでもらっていた。
ちなみに私は、木梨氏に読んでもらいたかったのだが、どういうわけか、
毎回、石橋氏が私のネタを喜んで読んでくれた。もちろんそれでも読まれるのは、とても嬉しいことだった。

しかし私は、いつもペンネームで匿名匿住所だった。
そのペンネームも毎回変えて、自分であると特定されることを極端に避けていた。
まあ、内容の多くがくだらない下ネタであったことも影響しているのだろう。

若き日の鶴光
AMラジオの王者・鶴光師匠の番組に投稿したことはない


その反面、何人かの友人にだけは投函前にハガキを読ませ、
このネタが自分の作品であることを、前もって誇示してみせた。
そしてハガキが採用されたその翌日は、彼らに対して少し自慢げに振舞っていた。

ところがそのくせ、友人たちには緘口令を敷き、ハガキについて他言無用を強要していた。何とも複雑怪奇な青春の胸の内である。今考えると本当に絡みづらい奴だ。

深夜、自分のネタが読まれた直後、隣の部屋で同じ放送を聞いていた兄が、
ゲラゲラと大笑いしているのを何度も聞いた。
弟の書いたネタだとは気付かず大笑いしている兄に、
どういう理由からか、無意味な優越感を感じたりしていた。今考えると不気味な弟だ。

そんなハガキ職人だった私であるが、
今では、年賀状も億劫に感じるほどの筆不精に成り下がってしまった。

これではいけない。ちょっとした礼状や、近況報告をハガキにしたためる、
こういう大人の作法を身につけねば、生きている甲斐がない。

金閣寺冬
突然ですが、こちらは絵葉書の王者・金閣(雪景色)


だからあまり、しゃっちょこ張って考えず、あの頃のように、
「クラスに一人はいるこんな奴」シリーズでも書く気持ちで、
季節の便りをさらさらっと書き記したいと思っている。もちろん下ネタは抜きで。

そして、もう一つ大切なこと、それはこの場合、
匿名匿住所は是が非でも避けるということだ。

さて今年こそは、暑中見舞いを残暑見舞いにしないようにしたいのだが、
どうなることやら、ハガキに書く良いネタが今のところ思い浮かんで来ないのだ。
元ハガキ職人が、筆不精に陥った原因はどうやらここら辺にあるようだ。
【2012/07/27 23:12】 思い出 | トラックバック(-) | コメント(0) |
キリンに思うこと
話は前回に引き続き、キリンのことである。
私は長らく、地上最強の動物はキリンに違いないと主張してきた。

不毛な雑談のネタとして知られる「最強動物は何か?」という論戦。
日本中の、いや世界中の酒場で、毎晩のように繰り広げられている。

何と言っても、トラ派、ライオン派、ゾウ派が根強い多数派であるが、
昨今は、ゴリラ派やカバ派、ワニ派も一大勢力に躍り出てきているようだ。

そんな中、キリン派の私は、いつも孤軍奮闘の末、
賛同者を一人も増やすことができず、口惜しい思いを募らせている。

キリンがキック一発でライオンをKOした映像や、
長い首をブンブン振りくって、お互いに強烈な頭突きをお見舞いする、
キリン同士の喧嘩シーンなどが、目に焼き付いて離れない私は、
今後もキリン派として、キリンを応援していこうと思っている。

キリンキック炸裂
サバンナに棲むキックの鬼、その名はキリン!


が、しかしだ。ここで言う「最強動物=キリン」説は、
その闘いが、無差別級の場合に限定されていることに気付かねばならない。

つまりそれは、動物たちが、実在する自らの肉体を駆使して闘った場合の話なのだ。
ゾウやキリンはとてつもなく大きく、ハツカネズミはとっても小さいという、
実際の身体、本当の体格でぶつかり合った時の闘いというわけだ。

この無差別級において、私は最強動物としてキリンを推しているのだが、
無差別級以外にも、当然のことながら闘いのステージは用意されている。

それが契約体重制である。全選手を仮に100Kgに設定した上で、
その闘いを想像してみるという、なかなか面白いステージである。
大体100Kgというと、人間のプロレスラー程度であるから、想像にも少しリアリティが増すというものだ。

このステージになると、キリンは分が悪い。100Kgのキリンとなると、
おそらくその身長は、ジャイアント馬場程度かと思われる。
それでは無差別級時代のキック力も頭突き力も、影を潜めてしまう。

無差別級では、その大きさにものを言わせていたゾウも、
みんな揃って赤ちゃんゾウのサイズになってしまい、パオパオと吠えてみても、可愛らしいぐらいになる。

大きさという最大の武器を取り上げられたキリンやゾウは、
契約体重制を生き残ることはできない。彼らは無差別級の選手なのだ。

さて、このステージになって、がぜんその存在感を誇示する一団がいる。
そう、皆さんもお察しの通り、ここでは虫たちがむやみに強い。
殊に闘いという競技になると、その中でもカブトムシには凄味すら感じる。

体重100Kgのカブトムシ。小さめのユニットバスほどの体躯になるだろう。

自分の何十倍もの重さを平気で動かすカブトムシのことだ、
森でクワガタをヒョイっと何メートルも先にブン投げるカブトムシのことだ、
このステージで、対戦相手は組み合った瞬間、小さめのユニットバスから伸びる、
太い松の木に身体を捕られ、SF映画みたいに50m先まで放り投げられてしまうのだ。
アァーーーッ!という相手の叫び声も、一瞬にして聞こえなくなってしまう。
もうそれで終わりだ。だれも敵わない。絶対王者の誕生である。

パワーを見せる
みなぎるパワーを見よ!これがカブトムシだ!


まとめよう。私の考える世界最強動物・無差別級王者はキリン、
契約体重100Kg級王者はカブトムシとさせてもらう。
特にカブトムシは今のところ敵が見当たらない状態であり、
誰がカブトムシの独走を止めるのかに、注目が集まっている。
ストップ・ザ・カブトの掛け声のもと、みなが王者を狙っているはずだ。

さて、皆さんも寝苦しい夜は、各階級の王者を考えてみることをお勧めする。
意外と、スッと眠りにつけそうである。

最後に、契約体重10Kg級団体戦王者は軍隊アリだと、私は信じて疑わないのだ。
【2012/07/26 22:14】 動物 | トラックバック(-) | コメント(0) |
27歳って何だ
先週のニュースではあるが、国内最高齢のキリンが亡くなったらしい。
大阪・天王寺動物園のハルミが、27歳で天国へ旅立ってしまった。

27歳。そう、偉業を成し遂げた天才ロックスターたちが、
なぜか次々と他界してしまう、魔の年齢である。

キリンのハルミ
キリンのハルミも27歳だった


ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、
死因は様々なれど、みんな27歳で逝ってしまった。

今回亡くなったキリンのハルミは、雌だったので、
その中でも、必然的に、ジャニス・ジョプリンと重なってしまう。

私は22年前、天王寺動物園をぶらりと訪れているので、
キリン界のジャニスこと、天王寺のハルミを、生で見ているということになる。
しかし残念ながら、その時のジャニスの、姿かたちもパフォーマンスも、
正直なところ、あまり記憶には残っていない。

私は、「ジャニスを生(ライヴ)で観た」という、その響きだけを聞けば、
我々世代のロックファンにとっては、永遠に不可能になってしまった、
夢のような体験をしていることに気付き、今さらながら身震いしてしまうのだ。

ジャニス・ジョプリン笑顔
ジャニスの歌は神の領域に達していた


しかしちょっと待て、このままでは、話があらぬ方向に進みそうなので、ここで軌道修正。
亡くなったキリンをジャニスと呼ぶから、おかしなことになるのだ。
ここは正しく、ハルミと呼ぶことにしなくてはいけない。

で、そのハルミは27歳で逝ったのだが、キリンの27歳は、
人間になぞらえると、なんと100歳に相当するそうだ。えーーっ!である。
つまり、ハルミは大往生を遂げた、ご長寿キリンだったいうことになる。

逝き急いでしまった、27歳のジャニスやカート・コバーンとは、
根本的にその死に様も、生き様も全く違っている。
まず何よりも、ヒトとキリンは、目・属・科、動物として何一つ同じではない。

天寿を全うした27歳のハルミに敬意を表し、もちろん追悼の意味も込めて、
何だか無性にジャニスの「Summertime」を聴きたくなったので、
今日はここら辺で終わりにしようと思う。
【2012/07/25 23:17】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
夏の夜話
7月に入り、暑くなってきた。
昔から暑い時には、背筋の寒くなる話をして、涼感を味わうのが常である。
というわけで、私が体験したその手の話をご紹介。

私が大学生の頃だから、もう20年以上前になる。
サークルの夏合宿で、私たちは瀬戸内海のとある島を訪れた。

合宿2日目の夕方、私を含め同級生の男6人は、
その日の夜に開催する、きもだめしのコースを決定すべく、泊まっていた民宿近くの山道を上っていた。

稲川の顔1
怖い話にはこの顔が必須なので


この先に小さな神社がある、という情報は入っていたので、
私たちは、その神社を目指してダラダラと歩いていた。
途中の驚かしポイントを決め、効果的な演出をあれこれ語りながら歩いていた。

すると、狭い山道が少し開けた場所に出た。
そこには、小さな畑があり、畑の隣には何と7〜8基の墓石が立っていた。

「ここ、ええやん!」仲間の一人が声を上げて喜んだ。
お墓の一つに、線香かろうそくを供える事をルールにしようと言い出した。
で、墓地から出て来てホッと油断したところを、思いっきり驚かそう、と盛んにアピールしていた。

しかし、私をはじめ数人は、お墓の周りでキャーキャー騒ぐのは不敬にあたるし、
第一、墓地の周りには、簡易的とはいえ柵が廻してあるので、勝手に踏み込むべきではないと主張した。

「ここの担当は俺がやるから心配するな。」などと、
私たちが、きもだめし中の待ち時間を怖がっていると誤解したその仲間は、
最後まで食い下がっていたが、やはりここでは騒がず横を通るだけと決定が下された。

そんな墓地の前での話し合いを済ませ、私たちは、山道に戻ろうと後ろを振り返った。
すると、私たちの前方10mの位置に、一人のお爺さんがジッとこちらを見て立っていた。
私たち全員、一瞬ぎょっとして肩がビクンっと動いたほどだった。

お爺さんは私たちが近付いても動こうとせず、こちらをジッと見続けていた。
しかし、別に怒った顔ではなく、むしろ柔和な表情でこちらを見ていた。
少し不気味ではあったが、お爺さんとすれ違わないと山道に戻れないので、私たちはそのまま歩き続けた。

その時、お爺さんが私たちに話しかけてきた。
とても温厚そうな口ぶりに、私たちはホッと一安心した。
どこから来たのか?、大学生か?、旅行は君たちだけか?、
といったごく普通の会話を交わした。お爺さんは時折、笑顔も見せてくれた。

私たちが、きもだめしのコースを下見していることを知ったお爺さんは、
ご親切にも、神社への裏道までも教えてくれた。
今時の若い者も、きもだめしをするのかと、随分意外そうに笑いながら話してくれた。

長さんの全盛期
お爺さんはどことなく、いかりや長介に似ていたと記憶している


しばらく話した後の別れ際、お爺さんは、私たちにお願いがあると言った。
「この墓地には入らないで欲しい」と訴えかけた。
「この墓の周りでは静かにして欲しい」と言い添えた。

私たちは、先ほどの話し合いの顛末をお爺さんに話して、
墓地には立ち入らないこと、驚かしポイントにはしない事を約束した。
すると、お爺さんは安心したようにニコニコと山道を下って行った。

私たちは、目的地の小さな神社を散策し、一応お参りも済ませた。
本番の驚かしポイントも決定し、怖がらせる演出も決めて、山を下りた。

きもだめし本番。まあ、盛り上がったかどうかの記憶はあまり無い。
並程度の盛り上がりだったのだと思うが、怖がりで有名な後輩が、
やはりその年も、ナイスリアクションだったことだけは憶えている。

さて、主催者で驚かせ役の私たち6人は、最終組通過を確認後、
一旦神社前に集合し、皆の待つ宿に向け、ゾロゾロと山道を下っていた。
山道を下りきり、あと50mほどで車も通る海岸沿いの道路に出るというところで、仲間の1人が話し出した。

「なあ、なあ、ちょっとおかしいと思うんやけど‥‥」
実はその後のセリフは、私も含めて他の5人全員が分かっていた。
だから別の1人が続けてこう言った。「畑と墓地、無かったよな。」

そうなのだ。今、山を下りて来る間、あの畑と墓地のあった、
少し開けた土地そのものが見当たらなかったのだ。

稲川の顔2
恐怖を綴る現代の語り部


いくら夜の山道といっても、月の明かりもあったし、懐中電灯もある。
6人揃って見逃すはずはない。それにほぼ一本道とはいえ、一応あそこを、
帰り道に迷わないためのポイントと考えていたので、それなりに意識もしていたのだ。

第一、ほんの90分前、私たちが驚かせ役として、各ポイントに散らばる時には、
確実にその場所はあったのだ。それが今はきれいに無くなってしまった。
ただの勘違いだと思いたいが、それは無理だった。6人も雁首揃えて勘違いはしないだろう。私は背筋がゾッとした。とにかく早く山から離れたいと思い、帰り道を急いだ。

宿に帰ってみると、後輩たちが追い討ちをかけるように、私たちに言った。
「先輩が言ってた、途中にある畑と墓地って、何処なんですか。
そんなもん無かったですよ。迷ったと思って、それが一番怖かったっスよ。」

仲間の1人が、いろいろと説明していたが、アルコールの入った後輩たちは、
あまり真剣には聴いてくれなかったようだ。

そして宿の人に話しても、そんな畑も墓地も知らないらしく、
私たちだけが、さらなる嫌〜な恐怖を味わうはめに陥った。

ところがである。宿の人は、私たちが会って話したお爺さんに関しては、
その風体から、近所のある老人を特定してくれた。
「ええーーーっ」である。

いやだから、そこが変だと言うのだ。
その実在のお爺さんが、消えた墓について言及しているのだから、
なんかこう、煮え切らない地味で鈍い恐怖感だけが残るのだ。

いっそあのお爺さんは、だいぶ前にお亡くなりになっていたという方が、
ストンっと腹におさまってくれるのだ。納得の恐怖体験となり得るのだ。

ところが、どうもこの話は、実体験した者が感じた、言い知れぬ恐怖感が伝えられない。
話を聴いた者には何が怖いのか、さっぱり分かってもらえないようである。

幽霊コント
けんと茶の幽霊コント、うらめしや〜、伊ぃ右衛門しゃまぁ〜〜


しかし案外、世の中の怖い話というのは、この程度の、
「何か腑に落ちない、ちょっと怖そうな実話」を多少上手く盛っているのかもしれない。

長々と、大して怖くもない話にお付き合いいただき、恐縮です。
【2012/07/11 22:58】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
オリジナルデザイン
もう何年も会っていないし、連絡も途絶えているのだが、
その頃、私には、韓国人の友達がいた。

彼は、日本語がやけに達者で、日常会話には何ひとつ問題が無かった。
もちろん、てにをはの使い方や、日本語の持つ微妙な感覚について、
少々の狂いが生じる場面もあったが、そんな事は何ほども気にならなかった。

ある時、そんな彼が、自分の建築作品のスケッチや模型を見せてくれた。
私たちは、欧州の某建築家との、デザインにおける類似点を引き合いに、
彼の作品の面白さに賛辞を送っていた。

ところが彼は、その建築家のことは知らなかったようで、
「そうですか、先にパクられてますか。」と、少し残念そうに呟いた。

彼は、そのデザインのオリジナリティに自信を持っていたようで、
似たデザインが、既に世にあるということに、少なからず落ち込んでいた。

「まあ、まあ、そうは言っても作品としてのクオリティは高いし、
全く同じデザインというわけではないのだから‥‥」と、
私たちは、至極真っ当で正直な意見を言い合い、彼をフォローしていた。

しかしだ。そんなことより、その時私たちは、
彼の発したある言葉に、心を鷲掴みにされていた。

『先にパクられる』とは、いったいぜんたい何事だろうか。
何という前向き、何という鼻っ柱、一つ間違えれば、何という詭弁・強弁。

ゲーリーはオリジナリティの王様
本文とは関係ないが、ゲーリーはオリジナリティ溢れる斬新性の王者


もちろん真実は、韓国人が少しだけ日本語を間違えてしまっただけのことで、
言った本人の真意が、どこら辺にあるのかも判断しかねる部分がある。
だが、この言葉は、斬新なオリジナルデザインを強く志向するデザイナーたちには、
少し複雑な感覚で響いたはずである。

『先にパクられる』‥‥この少しおかしな言葉の持つ、少しおかしなパワーは、
彼らの斬新性を担保するがための、奇妙ではあるが力強い修辞にもなる反面、
オリジナリティって何だろう、こうなると何だってパクりが成立するぞ、
と斬新なデザインへの情熱に冷や水を浴びせかけることにもなりかねない。

あの頃、今より斬新なオリジナルデザインへの志向が強かった私にとって、
『先にパクられる』は、情熱へのちょっとした冷や水になった。
いや、むしろ冷や水になってくれた、と言う方が今の気分からは正しい。

ゲーリーのスケッチ
こうなってくると先にも後にもパクりようがない、ゲーリーのスケッチ


建築、特に住宅建築に携わる私たちにとっては、
歴史や風土から営々と築き上げられた、常識的な快適さを捉えることの方が、
斬新な空間デザインを作り出すことよりも重要な気がする。

大袈裟に言えば、人間が快適に感じる空間の諸要素なんてものは、
ヒトがウポポウポポと声を張り上げていた頃から決まりきっているのだ。
それについて、今さらいくら新しい発見をしたぞと騒いでみても、
もうとっくの昔に『先にパクられている』はずなのだ。

韓国人の彼が、次の機会に、私たちに見せてくれた作品は、
斬新なデザインとは言えなかったが、お国のオンドルを利用した、
とても快適そうな空間で、スケッチからも、それが強く感じられた。

そんな彼とは、もう会えなくなってから久しいが、
母国に戻った彼が『先にパクられる』なんてことに
一喜一憂しない、そんなデザイナーとして活躍していることを切に願っている。
【2012/07/06 22:54】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
ぬた
ここでの話は、ぬたの事である。
居酒屋のお通しとして活躍する、あのぬたの事である。

ぬたは、主にワケギや青ネギを、青柳やイカ、マグロなどとともに、
酢味噌ないしはカラシ酢味噌で和えた料理である。

その外見が、ドロドロの田んぼ、沼田を連想させるため、
ぬたという名が付けられたらしい。

ぬたは、酒のあてとして、その潜在能力が高く評価されている。
日本酒にも、ビールにも、焼酎にも合うし、箸休めとしての爽やかさも兼ね備えている。

青柳とワケギ
これは美味そうな青柳とワケギのぬた


ぬたに旬があるのかどうか分からないが、
私は断然、夏のぬたを支持したい。
やはり酢味噌の酸味がそう思わせるのだろう。
同じ日本酒なら、燗より冷酒でおつにやりたい、それがぬただ。

そんなぬたが似合うのは、やはり中年以上のオヤジである。
それも40代後半〜50代の、脂の乗り切ったオヤジが最も熱い。

ぬたというものは、チョイワルだか何だか知らないが、
浮ついたチャラつきファッションなんぞには見向きもしない、
演歌の心に足の震えが止まらない、そんな高純度オヤジの食べ物なのだ。

LEON
ぬたの心が全く分かってない。そんなにモテたきゃ、ぬたを食え!


殊に夏のぬたは、そんなオヤジたちが、おしぼりで顔を拭き、
ついでにハゲ頭まで拭きながら、メインの刺身盛合せが来る前に、
ササっと平らげてしまうものなのだ。そして、食べた後のぬたの器は、
汚れが目立つので、店員がすぐに片付けるものなのだ。

さて、そんな大人の社交場に欠かせぬ存在、ぬたであるが、
私は、手放しにぬたを大好物とは言えないのだ。
ぬたを構成する面々に、何ひとつ嫌いなものなどないにも拘らず、
私は、ぬたのある欠点、恐ろしい裏の顔を見逃せないのである。

それは、幼い頃のぬた体験にさかのぼるのだが、
少年時代、私の口に比して、大人の嗜好品ぬたに入った青ネギは、大きすぎたのだ。

青ネギ自体は嫌いではないのだが、あれを小さい口で噛んだ時の歯触り、
あのコキュコキュと、歯が上滑りするような感覚に、恐怖を覚えたのだ。
味は好きなので、ぬたを出された時は、できるだけ上滑らないよう注意して食べたが、
なかなか上手く行かずに苦労した。

大人になって、口とネギのバランスが良くなった今でも、
コキュコキュを感じてしまい、せっかくの味が台無しになることもたまにある。

ぬた‥‥。名前はひどく脱力系なくせに、噛んでみると、
いやにハツラツとした、無意味なヤル気を見せ付けてくる複雑なやつ。

歯触りも、ぬた〜っとだらけてくれないかなあと思う。
「名は体を現す」を貫徹して欲しいんだよ、ぬた。
【2012/07/05 21:03】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
金言格言(漫画編)
私は読んだことがないのだが、ワンピースという漫画には、
数多くの名言が詰まっているらしい。
名言集が、一冊の本にまでなっていると聞く。

「心配すんな お前の声なら おれ達に聞こえてる」

ワンピースの名言ということで、ネット上に出ていたこの言葉、
発言した登場人物も、背景も、前後の文脈も全く知らないが、
何となく名言っぽさを、感じるといえば感じることができる。

確かに昔から、漫画には、多くの名言が隠されている。
私は、今後もワンピースを読むことはないだろうが、
私が読んできた漫画にも、ワンピースに負けない数々の名言がある。
そこで、本日はそれらの中から、いくつかをご紹介。

「めしとおかずのせめぎ合いだ!!」
泉昌之・作『夜行』より
弁当をドラマチックに食べたい主人公の、魂の叫びがこの名言になった。

「土俵際だ!!」
泉昌之・作『ロボット』より
冬の夜道、猛烈に襲いかかる生理現象を、必死に我慢して、
ハードボイルドに歩く主人公が放つ、悲痛なまでの叫び声。

かっこいいすきやき
『夜行』も『ロボット』も、名作「かっこいいスキヤキ」に収録


「人の耳ん中で煎餅食うな!!」
泉昌之・作『新さん』より
煎餅を食べながら電話する相手に、主人公が放った至極真っ当な説教。

新さん
新さんに憧れる男が後を絶たない、とまで言われている


「いや‥‥おれはナベのふただ。」
吉田戦車・作『圧力徳次郎』より
自らの傲慢に気付き、成長を果たした主人公がふと呟いた珠玉の名言。

「あいつは立派なうちの組員だぜ。」
吉田戦車・作『仁侠くまちゃんメリー』より
正式な組員と認められていない主人公が、その命懸けの行動によって、親分を感動させ、とうとう最後に言わせしめた一言。

一生懸命機械
機械と人間の心温まるふれ合いを描く名作「一生懸命機械」


このように、漫画はなかなかどうして、名言の宝庫なのである。
今後も折にふれ、私の好きな漫画や小説の名言を、勝手に紹介させてもらう。
嫌と言われても、今後予告もなく、突然に紹介させてもらうと、もう決めた。

ま、そんな宣戦布告めいた今後のお知らせは、さておいて、
漫画というのは、ついついパーっとセリフを読み飛ばしがちではあるが、
名言に出会うためにも、じっくりゆっくりと読んでみることをお勧めしたい。

しかしだからといって、いい大人が電車の中で電話帳みたいな少年誌を、
ご大層なアタッシュケースから取り出して読んでるのは、正直いただけない。
「みっともないから家で読みなさい、家で。」と家族から注意してもらいたいものである。
【2012/07/03 22:34】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
昼から飲む
最近、昼から飲んでいるビジネスマンをあまり見かけない。
今から15、6年前、私が20代の頃は、多くの先輩方が昼からやっていた。

昼から飲むといっても、ビールをグラス1〜2杯程度だし、
午後の仕事に差し支えない程度なのは、当たり前である。
また、すぐに顔が赤くなる人が、昼飲みに参加しないのも、当然である。

ランチビールフェア
そうそう、こういう魅力的フェアをもっと広げたい


私も週に1回程度は、蕎麦屋や天ぷら屋等で中瓶を転がしていた。
私の場合は、時分時を少し過ぎ、店が空いた頃合を狙っていた。
連れのある場合もあったが、独りのことも多かった。
思い過ごしかもしれないが、その後の仕事が、大いに捗ったような印象がある。

暑い季節には、15時頃からやっているバーの、一番客になって、
ソーダ割りを一杯、クイッと流し込んで、涼をとっていた。
思い過ごしかもしれないが、その後の仕事が、大いに捗ったような印象がある。

寒くなればなったで、日が傾きかけた15時頃、超熱燗をチビチビやりながら、
遅めの昼餉に煮魚定食などを、いただいていた。
しかしこの場合は、その後の仕事が、大いに捗ったような印象があまりない。

上京して、私が初めて吉祥寺という街に足を踏み入れたのも、
先輩から昼飲みに誘われたからであった。
丁度、仕事が一段落した14時頃、先輩から電話があり、「すぐに吉祥寺に来てくれ。」ということであった。

まさか昼飲みの誘いとは思わず、後輩社員である私は、小一時間後、
指定の待ち合わせ場所に行った。先輩はもう出来上がりつつあった。
有名な焼き鳥屋さんでは、昼飲みの醍醐味を体現するヒルノミストたちが、我が世の春を謳歌していた。

さて、夏が始まろうとしている。夏は本来、ヒルノミストたちの季節だ。
前述どおり、冬に比べて夏の昼飲みは、その後の仕事を活性化させるという統計も出ている。

いわゆるビジネスマンではなくなった私は、あまり最新事情を分かっていない。
しかし、確かにあの頃も不景気ではあったが、今よりは活気があったなあと感じている人は、多いのではないだろうか。

省エネスーツ
昭和のクールビズ「省エネスーツ」にご満悦の大平総理


クールビズだのスーパークールビズだのではない、正しい夏のビジネスシーン、昼飲み。
この最悪のデフレ不況を打倒するのは、案外ヒルノミストたちの爆発なのではないか、と思ったりもする。
【2012/06/29 23:58】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「命を粗末にするな」という話
「お前は何べん言うたら分かるんやぁ!!」
そう言って先生は、私の頭に鉄拳をメリ込ませた。
ゴツンッともボコッとも違う鈍い音が、頭の中で響いた。
当然その後は、痛みに耐えながら、先生の説教を拝聴せねばならなかった。

「中村っ!命を粗末にするな言うとるダデ!!」
K先生は、ひどく高ぶった声で私を叱りつけた。先生の怒りは頂点に達していた。
語尾に現れる「ダデ」は、K先生の怒りの大きさを示すバロメーターなのだ。

私たちがカッパ池と呼ぶその池には、たくさんの鯉がいた。
私と友達2人は、立入禁止の立札を無視して、柵を乗り越え、
狭い岸辺の雑草地から釣りを楽しんでいた。

河童の看板
これぐらい怖い看板なら乗り越えなかったかもしれない


そこを、事もあろうに、帰宅途中のK先生に見つかってしまった。
このK先生こそは、この場面において、一番会いたくない先生だったのだ。

K先生は、普段はすごく優しい、音楽の先生なのだが、
児童たちへの愛情の強さからなのか、たかが子供同士のジャレ合いから生じる、
ほんの些細な危険行為でさえも見逃さず、烈火の如く叱りつけてくるのだ。

掃除の時間に教室のベランダで、友達とふざけ合っていると、
「中村ぁ!命を粗末にするなダデェ!!」と運動場の隅から、
音楽教師らしく、さすがによく通る声で怒鳴り散らされた。
そうは言っても、十分な高さの手摺に囲まれてるんだけどなぁ、
と思ったりもしたが、先生の迫力の前に、そんな口ごたえは自然消滅する以外になかった。

また、遠足でハイキングコースを歩いている時、展望台の端に立つ友達を、
背後からワッと驚かしただけで、「命を粗末にするなダデェ!!」が始まった。
よくある冗談だし、驚かされた方も一緒に笑い合っているのに、先生は納まらない。
一緒に笑い合っていたもんだから、驚かされた方にも鉄拳制裁が下される始末だ。

そういうわけで私も含め、何人もの男子児童が、K先生には、
事あるごとに愛のムチを賜っていたのだった。

そんな先生が帰宅途中、立入禁止の池のほとりで、
自分の学校の児童が遊んでいるのを見つけたわけだから、もう大変なのだ。
「池に落ちたら死ぬんやで!分かっとるんか、お前ら!死ぬんやで!」
先生は感極まったのか、涙声であった。もう完全に先生は、泣きながら叱っていた。

とにかく、先生の「命を粗末にするなダデェ!!」をあれほど立て続けに聞くとは思わなかった。
説教もクライマックスを迎え、私たちも何故だか泣きながら先生に謝っていた。
夕暮れのカッパ池、1人のおばさんと3人の小学生が泣きじゃくっていた。

次の音楽の時間、K先生はいつもの優しい先生に戻っていた。
先生は、先日の私たちの愚行を例にとり、クラス全員に「命の大切さ」を説いてくれた。
そして最後は名曲「合唱組曲 チコタン」のレコード鑑賞へと雪崩れ込んでいった。
女子児童の何人かは涙を流すほどで、その日は特別な雰囲気の授業になっていた。

ちこたん
「チコタン」はいつ聞いても涙が出てしまう


「先生、こないだの時間、『決まった』って思とるかな。」
「思とる、思とる。あの顔は、思とる顔や。」
「ちゃうちゃう、『決まったダデ!』って思とるんや。」

カッパ池で叱られた3人は、数日前の音楽の授業について語っていた。
今度は先生に見つからないよう、隣の市の河口付近でハゼ釣りを楽しむべく、
一生懸命自転車をこぎながら、K先生の物真似も交えて騒いでいた。

この3人の馬鹿なガキどもは、あまり懲りていないようだったが、
3人とも先生のことは好きだった。張り倒されても、皆好きだった。
だから一応、危険な立入禁止区域にだけは近づかないように、
足りない頭で決めていたのだ。これなら先生も許してくれると勝手に考えていたのだ。

夏になると、痛ましい水の事故が増えてくる。
カッパ池のガキどもには、K先生がたまたまいてくれたが、
おそらくK先生のような大人は、そんなに多くはいないはずである。

だから、とにかく水辺にはむやみに近付くなと言いたい。
お前が言うなと言われようが関係ない。むやみに近付くなと言いたい。
子供だけではない。いい大人がバーベキューだか何だかそんな事ごときで、
「命を粗末にするな!」と言ってやりたい。

K先生も、そうおっしゃってるに違いない。
【2012/06/25 22:13】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
柳家権太楼独演会
昨日、柳家権太楼さんの独演会に行ってきた。
権太楼師匠は、私が今、一番好きな噺家さんである。
その高座は、爆笑必至の濃密な権太楼ワールドが、常に約束されているという、凄い噺家さんなのだ。

昨日のネタのひとつである「井戸の茶碗」は、
私の大好きな噺であるが、この噺でこんなにも笑えるとは思わなかった。
ちょっといい話系のネタで、爆笑させてもらい、何だか得した気分になった。

井戸茶碗「細川」
この素晴らしい茶碗を介して感動的なラストシーンが待っている噺


落語という芸能は、演者の解釈や個性によって、同じネタでも、
全く趣きの違う空気が、その場に作り上げられるのが楽しい。
だからこそ自然と、自分に合う噺家、贔屓の噺家というのが出来やすい。

反対に、好きなネタでも、自分に合わない空気を作る演者の高座は、
結構つらいものがある。なまじ好きなネタだけに、その噺家さんに対して、強く悪印象を抱くことも多くなる。

ただ単に自分と合わないだけなのに、「この人は下手だな。」などと、
随分失礼な感想を口にしたりする。で最悪の場合、そのことを友人に吹聴したりしてしまう。

できる限りそんな風に考えないようにしようと心掛けるが、
自分に合わない、その声・そのしぐさ・その間合い等を、再度見聞きしたりすると、
ついつい「下手なのにこのネタやらないでよ。」と、さらに輪をかけて失礼な気持ちが湧いてくる。

高座に上がって落語を演じたこともなく、さほどの落語通でもないくせに、
良くない考えだなあと反省しきりである。

ま、とはいえ、昨日の権太楼師匠に限っては、そんな心配も反省も一切ご無用であった。
その独自ワールドにどっぷり浸かって、大いに笑って大いに楽しむことができた。
開口一番の前座さんや、二ッ目のほたるさんも含めて、本当に素晴らしい会だったと思う。

柳家権太楼師匠
この人がとにかく面白いし上手いし、何しろ私には合う


ということで、そんな私は落語が大好きなので、もう少し寛大な気持ちを持って、
もっと多くの落語会にも足を運びたいと考えている。
【2012/06/21 22:17】 雑記 | トラックバック(-) | コメント(0) |


neno1365
  • Author:neno1365
  • 【neno1365】(ネノイチサンロクゴー)は、
    横浜を拠点に活動している設計事務所です。
    個人住宅・別荘の設計監理、集合住宅・シェアハウス等の新築・リノベーションの設計監理、それらに伴う家具等のプロダクトデザインなどをしています。個人の方から、賃貸オーナー様、不動産業者様まで近郊の方でご興味をお持ち頂けましたら是非お問合せ下さい。

    〒223-0062
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